本教室の歴史

鹿児島大学整形外科は、1945年(昭和20)に全国で16番目、九州では九州大学(1909年)、久留米大学(1932年)に続く3番目に設立された歴史のある教室である。その前身は、1943年(昭和18)に県立鹿児島医学部専門学校であり、その2年後に宮崎淳弘先生が九州帝国大学整形外科学教室より赴任し、当教室が誕生した。

 

宮崎 淳弘 教授 (1945 – 1979年)

教授に赴任したのは第二次世界大戦の配色濃い昭和20年であり、戦争後は教授1人の教室であった。昭和24年春に第1回卒業生の3人が教室員として入局し、漸く体制が整い始め、様々な研究を行ってきた。戦後多数の骨関節結核患者が発生し、脊椎カリエスに対する脊椎癒着術を施行、術後10年以上に亘って追求し、みるべき成果をあげた。昭和40年以降、所謂むち打ち症の研究に端を欲し、脊椎骨軟骨症、頚椎後縦靭帯骨化症、黄色靭帯骨化症、脊椎辷り症、脊椎側弯症等、脊椎疾患の治療について広範な臨床研究を進め、その業績は我が国の脊椎外科の第一線研究者としての地位を確保した。昭和46年にはリウマチ外来が発足し、金ゾルの大量療法を我が国で最も早く開発、リウマチ性肺線維症、頚椎の骨変化等を発見する等の貴重な業績をあげた。変形性股関節症に対する人工股関節置換術、先天性股関節脱臼の外科治療等も、順調に症例を増し業績をあげた。宮崎教授は昭和54年3月停年退官され、二代目酒匂崇先生が就任した。

 

酒匂 崇 教授 (1979 – 1999年)

昭和54年9月に第二教授として酒匂崇先生が就任された。酒匂教授は、特に脊椎外科に関する診療・研究を推進し、そのなかでも脊柱靭帯骨化症の診断、治療に関する研究は世界をリードするものであった。関節リウマチ(RA)頚椎病変に対し、後頭頚椎固定術、経口的歯突起切除術を世界に先立って行い、さらにRAの画像診断や自然経過の観察を報告し、高い評価を得た。平成4年から平成8年には、厚生省特定疾患脊柱靭帯骨化症調査研究班班長の任に就き、後縦靭帯骨化症(OPLL)研究を飛躍的に発展させた。脊椎疾患以外にも、関節リウマチ患者の離島診療、地域住民の疫学調査、人工関節手術の治療成績などの研究や、悪性軟部腫瘍に対する化学療法と監視温存に関する研究、あるいは内反足や先天性股関節脱臼などの小児整形外科疾患の治療に関する研究を幅広く指導した。平成3年からは日本整形外科学会の理事に就任し、平成8年に第11回日本整形外科学会基礎学術集会を鹿児島市で開催した。平成11年3月に定年退職され、名誉教授となられた。

 

小宮 節郎 教授 (2000年 –2017年 )

平成12年1月三代目教授として小宮節郎先生が前任地の久留米大学整形外科教室から着任した。脊椎外科をさらに発展させつつ、骨/軟部腫瘍、関節リウマチ、股関節外科、肩外科、膝外科、スポーツ整形などの整形外科全領域において研究、臨床の幅を広げていった。脊椎・脊髄外科の分野では、内視鏡下脊椎手術の導入、側弯症脊柱変形に対する手術、脊髄髄内腫瘍などへの顕微鏡手術などの最新の技術を積極的に導入した。関節外科分野についても大きく発展し、それまで困難とされていた殿筋内脱臼や関節固定術後の人工股関節置換術、難易度の高い高度骨欠損の再置換術などにも良好な成績をあげるようになった。また、肩関節鏡視下手術を積極的に導入・推進、膝関節外科では靭帯二十束再建、人工関節における最先端の診断、治療技術を導入し展開している。骨/軟部腫瘍外科分野では、温熱併用放射線化学療法やカフェイン併用化学療法などの先端的治療法が導入され、従来よりも高い奏効率を得ることに成功した。小宮教授は、平成29年3月に退官された。

 

谷口 昇教授(2018年~)

平成30年4月四代目教授として谷口昇先生が宮崎大学整形外科教室から着任した。就任1年目より、専門分野である人工肩関節置換術などの技術の導入、また救急科への医師の派遣を行い積極的な救急患者の受け入れができるよう体勢を整え、当教室を大きく発展させている。