2024-04-20

鹿児島大学 整形外科学教室

Department of Orthopaedic Surgery Kagoshima University

教授あいさつ

「君は医者である自分に対して、もっと厳しくあるべきだ、医療は人間の祈りだとさえ云われている、神を怖れ、神に祈るような敬虔な心で、患者の生命を尊重する心がなくては、医療に携わることは許されないはずだ」
里見は静かな揺るがぬ声で云った。一瞬しんとした静けさが部屋を埋め、鵜飼と財前は答えなかった−
山崎豊子著「白い巨塔」の一節です。金と権力にものをいわせ、何振り構わぬやり方で医療過誤を勝訴に持ち込んだ財前五郎医師に対して、己の良心から遺族側の証人に立ち、そして破れた里見脩二医師は、諭すようにこう訴えました。

古今東西、古代より医療は祈りとされてきました。2018年に放映された鹿児島を舞台とした大河ドラマ「西郷どん」でも、西郷吉之助が滝に打たれながら藩主島津斉彬の病状回復を祈る場面が描かれていました。医療とは、多分に精神的な要素が含まれるものなのかもしれません。
祈りの科学的理解には限界があると考えられている一方で、これまで130以上もの客観的研究により、祈りや祈りに似た思いやり、共感、愛などは、人間はもちろんのこと様々な生物に健康上プラスの変化をもたらすことが示されています*。祈りを受ける側の人が、たとえ誰かに祈られていることを全く知らなくても、離れた場所からの他者の祈りというものが効いたという実例も多数報告されています。米国では75%の患者が、医師は医療の一部として精神面の問題に取り組むべきと考えているとの調査結果もあります。

当教室には(株)京セラのご厚意で2006年より寄附講座「医療関節材料開発講座」が設置されていますが、その京セラの創業者で郷土の大先輩である稲盛和夫先生の著書「ガキの自叙伝」にも興味深い記述があります。京セラを創業して間もない頃、プレスの担当者が、焼灼炉内が均一の温度にならず、何度やっても寸法に微妙な差が出てしまい、意気消沈して泣いていたとき、稲盛先生はこう尋ねられました。
「焼灼するときに、どうかうまく焼灼できますようにと神に祈ったか」 
これは、神に祈るしかないほど、最後の最後まで努力を傾けたか、といいたかったのだそうです。その言葉を何度も繰り返した担当者は、やがてついにこの難題を克服したとあります。
 
 手術を受けるにあたって、患者さまやご家族はその成功を祈っています。私たち医師側も最大限の努力を傾け、周到な準備を行い、祈りながらメスをもつべきでしょう。その両者の思いが神に届いたときに、素晴らしい結果が訪れるのだと考えています。里見医師の言葉通り、「医療は人間の祈り」であり、私たちの教室はそういった熱い心を持つ整形外科医を育てて参ります。

鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 先進治療科学専攻 運動機能修復学講座
整形外科学 教授 谷口 昇

*祈る心は、治る力 ラリー・ドッシー 日本教文社 2003年

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